STORIES

椿館について

世界の板画家 棟方志功などに愛された
四百余年の歴史を刻む やすらぎの温泉宿

江戸時代 津軽藩の地検帳に記された「つばきの湯」が宿の始まりです
伝承で四百余年湧き続ける熱き湯と 歴史や自然を間近に感じられる湯宿は
旅の時間を大切にする方々に愛されてきました
“心の余白”を楽しめるひと時をお過ごしください

世界の板画家
棟方志功などに愛された
四百余年の歴史を刻む
やすらぎの温泉宿

江戸時代 津軽藩の地検帳に記された
「つばきの湯」が宿の始まりです
伝承で四百余年湧き続ける熱き湯と
歴史や自然を間近に感じられる湯宿は
旅の時間を大切にする方々に
愛されてきました
“心の余白”を楽しめるひと時を
お過ごしください

浅虫温泉の歴史

かつてこの地のいで湯は、布を織る麻を蒸すためだけに使われていました。

 

平安時代の1190年、この地を訪れた慈覚大師(円仁)が傷を負った鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめて以来、人々が利用するようになりました。地名も麻を蒸すことに由来した「麻蒸」が転じて、「浅虫」になったといわれています。

椿館の沿革

椿館が文献に初めて現れるのは江戸時代の貞享4年(1687年)。
津軽藩の地検帳に「つばきの湯」の記述が見られます。

 

それから十九代目の現在まで湧き続ける熱き湯は、明治天皇がご休憩・ご入浴する栄に浴し、世界的な板画家 棟方志功や津軽出身の作家太宰治にも愛されました。

偉人・文化人に愛された宿

明治天皇

明治9年7月、東北を巡行された明治天皇は浅虫の浜辺で漁業の様子をご覧になった後、当時の村一番だった当館で御休息、御入浴され、「眼がスッキリした」という泉質の感想を仰せられた記録があります。随行していたのは岩倉具視公、大久保公、木戸公、大隈公、徳大寺公のほか、250人、馬90頭という大行列でした。

棟方志功

海と山が織りなす浅虫の風景を愛した棟方志功は、椿館に滞在した際、幾つもの肉筆画をのこしてくださいました。宿の名前にもなった庭の椿の老木にも心を寄せ、白い花が豊かに咲く様も描いてくださっています。

太宰治

青森市内に住んでいた中学時代、母親と姉が当館で湯治をしていたことから、汽車で訪れては弟や友人たちと海岸へ出かけて遊んだ様子が、小説『思い出』に記されています。当館の宿帳にも、その記録が残されていたとも伝えられています。

津軽の文化・工芸品に触れる

〈津軽塗〉

漆を何十回も塗り重ねては研ぎ出して作る津軽塗は堅牢で、弘前市を中心とする津軽地方で江戸時代から職人たちが作り続けてきました。唐塗り、七々子塗など複雑で美しい模様が魅力。

〈こぎん刺し〉

江戸時代、津軽の農家の女性は家族が着る藍染の麻の着物に補強、保温のため白い木綿糸で刺し子を施しました。次第にひし形の美しい模様となり、「こぎん刺し」と呼ばれるようになりました。

〈津軽びいどろ〉

1500度の灼熱の坩堝で真っ赤に溶けたガラスを職人が吹き竿に巻き取り、息を吹き込む「宙吹き」技法で作られる津軽びいどろ。多彩な色ガラスで日本の四季を表しています。

〈津軽金山焼〉

五所川原市の金山(かなやま)地区にある登り窯で、1350度の高温で焼く焼き締め技法で作られる焼き物。炎が作り出す模様、色艶は使い込むほど趣が増し、温もりを感じる器です。

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棟方志功ゆかりの宿 浅虫温泉 椿館
〒039-3501 青森県青森市浅虫字内野14
〒039-3501
青森県青森市浅虫字内野14
〈浅虫温泉共同予約センター〉
TEL.
017-752-1031
(10時 ~ 18時)
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017-752-1031
(10時 ~ 18時)